後日談のその後に。

 気が付けばすでに空は青から赤へと染まっていた。
 HRが終わった後の友人たちの楽しそうな声を聞いたのは覚えている。彼が今日は部活だと同じ部活仲間と笑いあいながら教室を出て行ったのはほんの数分前の事のように思い出せるし、彼が友達と親しげに話していた言葉もしっかりと覚えている。
 それなのに、その後の空が青から赤に変わるまでの間僕は何をやっていたか思い出せなかった。
 僕以外の誰もいない教室にはみんみんとまだ蝉が夏は終わっていないと呼びかけ続けているが、夏の終わりはもうすぐそこに来ていた。文化祭までとカウントダウンされたカレンダーが連絡板に張り出されていて、そのカウントが0になればもう夏も終わりだ。
 僕はそのカレンダーを見ながら机の上に置きっぱなしだった筆記用具を片付けて、帰る準備をする。もうすぐ見回りの先生がやってくるはずだ。連続殺人事件の犯人が捕まったとはいえ、一応学校の生徒が危険に晒されたとなれば強化を行うという事だそうだ。…遅い対応だとは思うけれど。
 その事件の渦中にいながらも、僕は何食わぬ顔をしていつもとそう変わらぬ日々を過ごしていた。いや、違うか。7月7日を何度も繰り返していた影響か、今日みたいにふと数時間の『記憶が抜け落ちる』事が時々起きる。記憶がない間を友達に一度聞いてみたが、特別おかしい挙動をしているわけではないらしい。まぁ、特に問題も起きているわけでもないから母親にも医者にもその事は言ってない。それでもその記憶がない間に彼はどう過ごしているのか気になっていた。
 ふと、もう部活は終わっただろうかと教室から野球部の練習しているグラウンドを見下ろす。何人かの部員が居残り練習をしているようだ。そういえば、3年生が抜けた穴を埋めるために強化合宿を今度するとか士が言っていたような気がする。あの練習している中の何人かは次の試合に出してもらえるのかなと思いつつ、もう少しよく見てみようと窓に身を乗り出したら「穂波!」と後ろから声が聞こえた。。
「士?」
 驚いて後ろを振り向く。もう部活が終わって帰ったのかな?と確認しようと思った所に探していた彼が教室に現れたのだ。彼も彼で何か焦ったような顔をして僕の方を見て、駆け寄って僕の包帯の巻かれていない方の腕を取る。
「どうしたの?部活もう終わったの?」
「部活は終わった、けど…」
「?」
 何か言いたげそうな士に僕は首を傾げて数秒。ああ、と思い出す。そう言えば彼の前で僕は確か屋上から転落死したことがあるんだっけ。僕が7月7日を繰り返した記憶を持っているのと同じように彼もその記憶を持っているのだった。
 僕はすぐさま窓から離れると「大丈夫だよ」と士に向かって笑う。
「風は吹いてないし、さすがにここから落ちることはないだろうから」
「…それは、そうだろうけど」
 士の表情はまだ不安そうだ。僕は窓を閉じて「まぁ、でもあの時の士の表情は面白くて好きだったけど」とちょっと悪戯っぽく言うと士が「ふざけるなよ」と不安な表情から不機嫌な表情へと変えた。
「あの時、俺が手を伸ばしたのにお前手を取らなかっただろ。しかも笑ってさ。お前あの時俺がどんな気持ちでいたか…」
「ごめんごめんってば!」
 このままにしておくとお説教モードに入ってしまうと思った僕は急いで謝ると士は少しだけ不満そうな顔をしながらも僕の腕からようやく手を離した。
 あの時は士の心の中に少しでも僕が残ればいいと思ってした事だったけれど、それは僕の想像以上に士の心に傷をつけたらしい。それに少しだけ嬉しさを覚えながら僕は士に改めて聞く。
「それで、士はどうして教室に来たの?忘れ物?」
「いや、忘れ物はしてない」
「それじゃあ、なんで?」
 歯切れの悪い士に僕は改めて聞く。今日は別に一緒に帰る約束はしてないはずだし、士と帰ると約束した日は忘れない自信はあった。それに士が誰と帰るかとかの情報は毎日確認をしているし、今日は部活が終わったらまっすぐ家に帰ると友達に話していたからそのはずだ。
 けれど、彼はその言葉通りではなく教室に寄るという事をしている。その意味が示すものといえば教室に何か忘れ物をしたとか、予想外の出来事があったという事しか考えられない。僕の問いに士はバツが悪そうに言う。
「…いたからだよ」
「えっと…いた?誰が?」
 士にしては珍しいぼそぼそと小さい声だったため、聞き取れずにもう一度聞くと「お前がいたのが見えたからだよ!」とはっきりと言われた。夕焼けに当たってるせいか、士の顔が少し赤く見えるのは気のせいだろうか。
 「僕が教室にいたから?」
 おうむ返しのように聞くと「そうだよ」と肯定の言葉が返ってきて、その声に頬が少し赤くなる。一人教室に残っていた僕を士が見つけてくれたのに嬉しくなる。予想外の事にこれからは少しだけ何もない日は教室に残ってもいいかな?と考えてしまう。
 だって、僕は士が好きだから。でも士からその返答はまだもらっていない。入院中に士が来た時に思わせぶりな事を言っていたが、それ以降は何もない。本当に。
 だからこそ、僕も片思いをしている前提で士にそれとなくアタックは続けている。まぁ、他の人がいる時にやると士が起こるからしてないけれど、それでも意識はされているという反応はちょこちょことある。が、それだけだ。
 だからこそ、こうして予想外に僕のために士が来てくれた事が嬉しい。
「そうなんだ」
「怪我、どっか痛むのか?だから教室で休んでたとか…」
 どうやら彼は怪我を心配してくれているらしい。僕は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。相変わらず士は優しいね」
「本当にか?」
 彼を心配させないようにというわけではなく、本当に痛くないからそう言えば士は何か思う所があるのか念を押すように聞くのに僕が「うん、本当だよ」と頷くと「嘘だろ」とすぐに否定された。
「お前、最近ぼうっとしてる事が多いだろ。本当に何にもないのか?」
 士の言葉に僕は二度目の驚いた顔をすると「やっぱり」と嘆息された。
「疲れてるのか?夜はちゃんと眠れてるんだよな?」
「そんな疲れてる感じはしないし、ちゃんと夜も眠れてるよ」
「自覚してないだけで疲れてるのかもしれないぞ?」
「うーん…それだと僕じゃわからないよ」
 少なくとも自分で判断する限りは問題ないのだけれど、士はどうもそうは思わないらしい。
「一緒に帰ろう。家まで送ってく」
「え?本当?嬉しい!」
「お前が帰りにぼーっとして交通事故にあったりしたら嫌だからな」
 どうやら、本当に士に心配されているらしい。士と一緒に帰れるのは嬉しいけれど、少し複雑な気分だ。一度轢かれそうになったら、心配した士がしばらくは一緒に帰ろうと言ってくれるかもしれないと仄暗い考えを一瞬思い浮かべたが、士に手を繋がれてすぐにその考えは霧散してしまった。
「え?士?」
「お前危ない事しそうだからな」
 そう言いながら士の耳が赤くなっているのを見る。手をつないで歩くなんて、男子高生がするなんておかしいと士は言ってあんまりしてくれないのだけれど、それを士が自らしてくれているのだ。士がここまでするなんて本当に珍しくて、僕は教室に二人っきりなのを一度確認してから言う。
「士」
「なんだ?」
「好きだよ」
「知ってる」
 士はそれに驚くことなく淡々とそう返した。僕の好きだよ攻撃はすでに士の中ではそれほど威力があるものでもないらしい。これはまた違う言葉を考えないといけないな、と思っていると…。
「俺も、好きだからな」
「え?」
 耳を疑う。士が今、何と言ったのかわからなくて口をぱくぱくさせていると、士は黙って僕の手を引いて教室を出る。二人分のカバンを持って。
「ちょ、ちょっと、士?今さっき、好きって、えっと言ったよね?」
「………」
 士はひたすら無言だ。僕はあまりにも夢を見すぎてて、聞き間違いをとうとう起こしたのではと思ったその時に士が振り返る。
「好きだ」
「…!」
 面と向かって言われて、顔が赤くなる。もうすでに空は赤から黒に変わりつつあるけれど、学校は電気がついているから自分の顔の赤さを隠せることはできなさそうだ。見れば士の顔も赤い。
「え、えっと、本当ですか…」
「こんな事嘘でもいえるか」
「そ、そうだよね」
 士が嘘を言うなんて、まぁ今までたくさんあったけれど、ここで嘘をいう事なんてないだろう。僕はどうしたらいいのかわからずにいると士は手を引いてまた歩き出す。
「今度は、俺を頼れよ」
「え?」
「お前は一人で無茶をするし、全部抱え込もうとするし…だから危ない方にすぐに行くんだよ。
 次からは絶対に俺を頼れ。絶対にお前をそっち側に行かせないから」
 まるで子供に言い聞かせる母親のようだと思いながら、それでも僕は「わかった」と頷いた。士のいう事は正しいから。
 あの事件はほぼ僕が独断で行った結果だ。だから、悪い結果にしかいつもならなかった。後悔はしてないけれど、それでもその事件が終わった後こうして士と一緒にいられるのとどっちが幸せかと聞かれたら、間違いなく今だ。
 だから僕も士の手を離さないようにしっかりと握る。今がとても大切だから、それを手放さないようにと。
「士、大好き」
 にこっと、もう一度言えば今度は小さな声で返ってきた。
「俺も穂波が好きだよ」